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和服を着慣れて(着こなして)こその「粋」

「着こなし」と同じで、和服、特に着物を着ていると言われる「粋(いき)ですね」といった褒め言葉がある。そう言われて内心ニヤニヤしてる人に聞きたい。

で「粋」ってなんぞ?

というわけで、他所様はどうだか知らないけど、オレなりの「粋」を解説しておこう。

自然体だけど個性が光る、それが「粋」

まずは「着こなし」と同じくネットの辞書で調べてみた。

>気性、態度、身なりがあか抜けしていて、自然な色気の感じられること。

「心意気」という言葉があるように、もとは「意気」から転じた言葉のようで、さっぱりした、すっきりした、といったニュアンスかな。

ポイントは「自然な色気」という部分で、どんなにあか抜けた恰好をしていても自然な感じじゃなきゃダメらしい。あと「色気」といっても「男の色気」と書くとなんとなくビミョーなので、自分のカラー、雰囲気、オリジナリティー、といったところかな。

あか抜けて云々はなんとなくわかるとして、ポイントとなる「自然な色気」をどうすればいいか考えてみよう。

まずは「自然な」から。これを和服に当てはめてみると、和服を着ている姿が自然に見えること、それは言い換えれば和服をある程度着慣れている、着こなしていることだと思うんだよ。

よって、高級品を着ようが奇抜な着方をしようが、和服自体を着こなしてないことには「粋」もクソもないってわけ。

次に「色気」なんだけど、これは「自然な」を踏まえればなんとなく見えてくる。

ある程度和服を着慣れてくると、洋服でもそうであるように、こういった着方をしたい、こんな雰囲気で着たい、など、自分なりの方向性というか個性(センス)が出てくると思う。それが「色気」なんじゃないかなと。

というわけでまとめると「自然な色気」というのは、

>和服姿が自然体に見えて、なおかつそこに、その人の個性が見えるさま

といったところだろう。これに「あか抜けて」を足せば「粋」になるんだけど……うーん「スタイリッシュで自然体」とでもしときゃいいんじゃない?(ホント適当)

当然ながら方向性や個性は人それぞれなので、極端に言えば着ている人の数だけ選択肢=「粋」があることになる。もちろん無理して個性を出す必要もないけど、ある程度着慣れれば少しぐらいは勝手に出ると思うよ。

それと、ここまでの流れでわかるように「粋」の条件として「着こなし」が必要なので、言いたいことはわかるんだけど「粋な着こなし」という言葉は「頭痛が痛い」と同じで少々おかしいってわけ。

いき←→やぼ、すい←→ぶすい

ところで「粋」は「いき」と読んでるけど、漢字としては「すい」とも読む。

はるか昔、江戸は精神的な(心)意気←→野暮(やぼ)で、上方(大阪)は美術的な粋(すい)←→無粋(ぶすい)のような感じだったらしい。野暮、無粋は反対の意味なので「あか抜けしていなくてわざとらしい、しつこい、くどい」といった感じかな。
(参考「江戸Tokyoストリートファッション」遠藤雅弘 著)

では具体的にどういったのが野暮(無粋)なのかというと、粋か野暮かを判定するのは「他人」なので、これこれこういったのが野暮ですよ、と一概には言えないと思う。

襦袢を見せたいからホテル行こうぜ(バカ)

ただなんとなく思うのが、ちょっとしたお洒落に対して他人が気付く前に「早々と」ネタばらしすると、せっかくのお洒落も台無し、野暮になるんじゃないかな。

例えば、事の真偽はひとまずおいといて「男の和服は見えないところでお洒落をするもの」のような文言、一回ぐらいは見聞きしたことあるでしょ。

引き合いに出されやすいのが羽織の裏地や長襦袢で、ちょっと派手な色柄や珍しい生地をそれらに使うことによって、脱いだ時にその生地が見え、見物客からはやんややんやと拍手喝采雨あられ、というわけ。もちろん、するしないは個人の自由だ。

ただ、もしやったとしても、表面上は見えないところに「さりげなく」お洒落を仕込むのだから、気付かない人はぜーんぜん気付かないはず。仮に気付いたとしても、言葉や態度で表してくれるとは限らない。

ちらっと見えるぐらいはあるだろし、羽織はまだ普通に脱ぐ機会があるとしても、襦袢の全体像は長着(着モノの正式名称)を脱ぐしかないんだから、温泉や銭湯にでも行くか……部屋で誰かと「寝技ありの相撲」でもするしかないでしょうよ(笑)

言い換えれば、誰も気付かないのを前提でやってるお洒落であり、その人の「自己満足」でしかないんだよ。にもかかわらず、気付くのを他人に強要するのは「くどい」し、自分からネタばらしするのは「わざとらしい」と思うわけ。

野暮X野暮=粋?

どこかで聞いたことがあるようなないような「わざと野暮ったく着る」というのもあるらしい。普通に考えたら「ダダ滑り」状態なんだけど、実はこれ、わざと野暮=野暮X野暮=粋、という意味なんだと思う。

そんなの簡単だって?いやいやその逆「難易度:激高」だと思うよ?オレもちょっと想像がつかないもん。うまく例えられないけど、ぱっと見はぜんぜんお洒落要素がないのに、あることに気がつくとずば抜けてお洒落だったのがわかるというか……

一言で言えば「犯人はヤス」みたいなもんかな?(笑)

ちなみに「わざと野暮ったく着てます」などと公言するのは、上で書いたネタばらしと一緒なのでやらないほうがいいと思うよ。

「粋」を探して

とまあいろいろ書いてきたけど「こうすれば粋になる」といった万能技はないと思う。季節を意識して着るものを決めるとか、見えない部分にお洒落を仕込むとか、和服に限らず洋服でもやる方法だしね。

そういった「服装のお洒落」で「すい」の条件はある程度満たせるような気がするけど「いき」はちょっと違うんじゃないかと思うわけ。

うーん、どういうのかなあ、その和服を着ることでその人の持ち味が出るし、その人が着ることでその和服の持ち味が出る、相乗効果というか、勇者と伝説の装備というか、アムロとν(ニュー)ガンダムというか、まあそんなとこ(おい)。

とはいえ、勇者やアムロになる必要ないし、伝説の装備やνガンダムを入手すればそれでOKでもない。重要なのは相乗効果だから、自分のセンスや使い勝手に合った、和服や着方を見つければいいんじゃないかな。

そう考えれば「いき」とは「目指すもの」ではなく「探すもの」なのかもしれない。時間はかかるかもしれないけど、少しずつでも着続けていれば、いつか自分に合う「粋」が見つかるかもよ。

くれぐれも「粋(いき)がってるだけ」にならないようにね。

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