それ、キモノに「着られている」んじゃね?
和服が大好きでよく着ます!アピールしてるそこのアナタ、本当に和服を「着ている」のかい?ひょっとして未だに「着られている=振り回されてる」んじゃない?
ちなみに、ネタの関係上わざと「キモノ」とカタカナ表記にしてます。
和服は「着られている」からスタート
今まで洋服メインで着ていた人が和服を着始めるには、なにがしかの動機というかきっかけがあると思う。これは人それぞれだから別になんだっていいと して。
誰でも着始めたばかりの頃は、仕事をしてても飯食ってても和服のことが頭から離れなくて、次はいつ着ようか、どんな着方しようか、どこに出かけよう か、もうウッキウキのホイホイ(意味不明)だと思う。
これは単純に「新しいことを始めた」からで、和服に限らずなんでもこうなるはず。新しい趣味を始めた、新しいオンラインゲームを始めた、新しい人間 関係(意味わかるよな?)が始まった、などなど、誰しも心当たりはあるでしょ。
この状態が、和服なら「着られている」ってこと。自分より和服のほうが強くて主導権を握ってる状態で、あらゆる状況において、和服ありきで物事を判 断してしまう。
例えばどこかに飯を食いに行こうとするとき、いつもなら適当な居酒屋に入るのに「和服だから」和風な佇まいの店や和食メインの店に行くとか。そして いつもならビールを飲むのに「和服だから」日本酒にするとか。
珍しく一張羅を着ていると「おまえ、その服に着られているよ」なんてのを聞いたことない?本来なら服は「着る」ので主導権は自分のはずなのに、服 のほうが立派だから主導権は服で「着られている」というわけ。
しかし先ほど書いたように「誰でも着始めたばかりの頃は」こうなりやすいというか、言い換えれば和服は誰でも「着られている」状態からスタートする わけ。もちろんオレだって例外なく「着られている」スタートだったからご安心を(解説)
「思い込み」に気付けるかどうか
伝統芸能や神社仏閣関係の人でもなければ、誰でも「着られている」スタートではあるんだけど、問題はここから。
例えば「和服でぶらぶらしたいから「和服が合う」浅草に行こう」は、最初のうちは誰でもやろうとする。でも、和服を着た日数や着ている時間が増えてくると、浅草に用事があるとか浅草の雰囲 気が好きな人を除けば、和服を着てるから浅草?ん?となってくる。
先ほどの「和服だから(和服が合う)日本酒を飲もう」も同じで、もともと日本酒が好きな人はいいんだけど、和服を着てるから日本酒? ビールや焼酎を飲んじゃいけないのかな?とふと思うはず。
世間では◯◯は和服に合う、和服が似合う◯◯とか言われてることがあるけど、実はそれ、テレビや雑誌やネットなどのメディアで和服姿の「演出」とし て目にすることが多いから、イメージとしてそう思い込んでるだけ、ただの先入観なわけ。
そう、和服を「特別ななにか」と思い込んでるように。
そこに気づくことができれば、和服と自分の力関係は一気に逆転してくる。主導権は自分、和服に「着られている」状態から「着ている」状態へと変わってくるんじゃないかな。
ちなみにオレはなぜそれに気づいたかというと、地方都市なので地元に浅草のような場所がないし、日本酒含めいろいろ飲むけどビールが多かったから。 自分がやれないこと自分がやれることを考えたら、気づいたというか勝手にそうなってた(笑)
さらにその先へ
和服を「着ている」状態になれば、和服(を着ること)に対して肩の力が抜けるはず。一旦落ち着くというか冷静になるというか。
あとは、少しずつでいいから無理せず和服を着続けていると「その先」がなんとなく見えてくるかなと。ヒントは、
「江戸時代までの人々にとって、和服とはなんだったのでしょうか?」
これがわかれば、思い通りに和服を着ることができるようになるんじゃないかな。それが、このサイトの主旨でもあるんだけどね。頑張れる人は頑張ってみておくれ。
和服が、あなたの服になりますように。
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